今夜10月7日(土)21時からドラマ土曜プレミアム・衝撃スクープSP 30年目の真実~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声~」が放送されますね。

ドラマされるのは戦後史上最悪の「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」で、犯人の宮崎勤元死刑囚連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として逮捕、起訴され、死刑が確定した人物です。

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埼玉連続幼女誘拐殺人事件の経緯は?

第一の事件
1988年8月22日 – 当時4歳の女児Aが誘拐・殺害される。殺害後しばらくたち、死後硬直で固くなった遺体にわいせつ行為を行う様子をビデオ撮影している。動機について簡易鑑定の問診記録では、鑑定人に「どうして写真だけでは済まなくなったか」を聞かれた際は、第一次鑑定では「よくわかんない」、最後の被告人質問では「急に子供の頃が懐かしくなった」と、証言が曖昧であった。
第二の事件
1988年10月3日 – 当時7歳の小学1年生の女児Bが誘拐・殺害される。こちらはすぐさまわいせつ行為をしたが、この時点ではまだわずかに息があった模様で足がピクピク動いていたという犯人の証言がある。動機について供述調書では「何ともいえぬスリルがあった」、第一次鑑定では「よく覚えていない」「一番印象が無い」と述べ、やはり不明瞭。
第三の事件
1988年12月9日 – 当時4歳の女児Cが誘拐・殺害される。Cは失禁した。焦ったのか犯人は被害者を山林に投げ捨てた。12月15日、Cの全裸死体発見。12月20日、C宅に葉書が届く。この遺体の発見後、テレビで被害者の父親が「死んでいても見つかってよかった」と発言するのを見た犯人が他の被害者の遺体も送ることを計画するが、Bの遺体を発見できなかった。この際、山道に脱輪してたまたま通った車に助けを求め、「紺のラングレー」「ナンバープレートが3桁」という目撃情報が浮上する。
犯行声明と告白文
1989年2月6日 – A宅に紙片と骨片などの入った段ボール箱が置かれる。2月10日には「今田勇子」名でA事件に関する第1の書簡『犯行声明』が朝日新聞東京本社に郵送される。2月11日には同内容の犯行声明がA宅に届く。Aを入間川に沈めて殺したなど、事実と異なるいきさつが書かれていた。3月11日、「今田勇子」名での第2の書簡『告白文』が朝日新聞東京本社とB宅に届く。両書簡とも極端に角張った利き手と反対の手で書かれたとも思える筆跡が特徴であり、筆跡鑑定が行われた。
第四の事件
1989年6月6日 – 当時5歳の女児Dが誘拐・殺害される。Dの両手を焼いて食べたと宮崎は罪状認否で述べるが、検察は自己の異常性を強調するため虚偽の事実を述べたものだと論告で主張した。判決では検察側の主張を認め、宮崎の主張する食人行為は虚偽の疑いが濃厚だとされた。6月11日、Dのバラバラ殺人遺体発見。
現行犯逮捕
1989年7月23日 – 東京都八王子市で幼い姉妹を狙った猥褻事件を起こす。妹の全裸写真を撮影中に姉の知らせを受けた父親に取り押さえられ、現行犯逮捕。父親は「D事件の犯人もまだ捕まっていないのに」と取り押さえた宮﨑を責めたが、後日それが連続殺人事件の犯人だと知って愕然としたと当時のマスコミの取材を受けている。

出典元 Wikipedia

宮崎勤元死刑囚には1997年に死刑判決が出され、2008年6月17日に死刑執行されました。

死刑判決が出てからは刑務所内でビデオ鑑賞が認められており、宮崎勤元死刑囚の最期の言葉が「あのビデオまだ途中なのに」だったという事は有名です。

犯行の動機は?

あまりにも凶悪事件なうえさまざまな憶測が飛び交い、宮崎勤元死刑囚の要領を得ない供述などから裁判でも動機の完全な特定には到っていないという事です。

 

宮崎勤元死刑囚の生い立ちとは?

宮崎勤

宮崎勤元死刑囚は東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)に産まれ、家は地元の新聞会社を経営する裕福な一家の長男でした。

家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人。

両親が共働きのため、知的障害者を持つ男性を住み込みで雇い入れ、幼い宮崎勤元死刑囚をこの男性と祖父が世話をしていたようです。

 

宮崎勤元死刑囚は「両側先天性橈尺骨癒合症」という身体障害がありました。

私の障害「先天性橈尺骨癒合症」とは by千葉でブログやってます。

推測ですが、宮崎勤元死刑囚はこの手の障害があったために、うまくいかない事があると何でも「手のひらのせい」としてきたようですのでこれも事件の動機に少し関わっているのかもしれませんね。

小学生時代の成績は上位。

中学校1、2年生の時には陸上部、3年生の時には将棋部に所属し、負けると異常に悔しがり、さまざまな攻略本を読み、負けた相手には必ず勝つまで勝利するという執着ぶりでした。

 

高校時代は手の障害を気にしてなのか、自宅から片道2時間の男子校へ入学するも高校に入ってからの成績は下降の一途。

 

短大は「東京工芸大学短期大学部画像技術科」に進学。

同級生の中に俳優の川崎麻世さんがいますが、宮崎勤元死刑囚逮捕時のインタビューで、

「僕は記憶力が良い方だし、クラスは全部で80人ほどだったから、忘れるはずはないんだが、そんな奴いたかって感じなんだ」

とコメントするほど影が薄い存在だったようです。

 

短大卒業後は叔父の紹介で小平市の印刷会社に印刷機オペレーターとして就職。

勤務態度は極めて悪く、評判も非常に悪かったそうです。

普通犯人の周りの方のインタビューでは「勤務態度は極めて真面目だった」というコメントばかりの中で宮崎勤元死刑囚の周りでは真逆のコメントをしていますね。

3年後には勤めていた会社の上司から神奈川県への転勤を勧められたが拒否したため自己都合退職(実質的には解雇)しました。

 

その後自宅へこもる生活が続き、9月ごろから家業を手伝い始めますが、広告原稿を受け取りに行く程度の簡単な手伝いだけだったようです。

この頃アニメの同人誌を発行しましたが、態度や言動など仲間に嫌われ、1回だけの発行となりました。

その後は数多くのビデオサークルに加入するも、他の会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていたようです。

逮捕後の家宅捜索では6000本近くのビデオテープを所有していたことが判明しました。

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宮崎勤元死刑囚逮捕後の家族は?

長女 職を辞め次女は結婚予定であったが自ら婚約を破棄した。

次女 看護学校へ通っていたが退学

兄弟 会社を辞職。

父親の上の弟 5つの会社の役員を全て辞職。

父親の下の弟 2人娘がいるが職を辞めてしまい、旧姓に戻るため妻と離婚。

母親の兄 2人の息子がおり、1人は警察官・1人は高校教諭だったがどちらも退職。

父親 4年後には自宅を売り、その代金を被害者の遺族に支払いの段取りをつけたあと多摩川から飛び降り自殺。

 

加害者の家族というのは、罪を犯した加害者以上に苦しめられる事になりますよね。

作家の佐木隆三さんは、父親の自殺を「現実逃避であり被害者家族を顧みない行為である」と非難しました。

 

ドラマ「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声~」キャスト

宮崎 勤: 坂本 真

宮崎 勤の父親: ダンカン

警視庁捜査一課殺人5係警部補: 金子ノブアキ

ワイドショーリポーター: 秋元才加

警視庁捜査一課殺人5係係長警部: 小木茂光

警視庁捜査一課殺人5係巡査部長: 矢柴俊博

警部補の妻: 遠藤久美子

ワイドショーディレクター: 桜田 通

 

番組では今まで誰の目にも触れることのなかった宮崎勤元死刑囚の「肉声」を初公開するとの事です。

俳優の金子ノブアキさんは、

「大変痛ましい出来事で亡くなられた人がいて、宮崎勤元死刑囚自身も死んでいる。一語一句、一挙手一投足を見張ってもらって誠実に伝えたいということだけです。不気味でいびつな事件。当時8歳くらいで怖かったし、忘れられない。まっすぐに記憶してしまったという印象。30年たっているということにも驚きました。ここまで克明な再現ドラマに出たのは初めてかも。深い作品だし、みなさんに助けられながらたぐり寄せていくしかない。しっかり着地しようとは思っていないし、食い下がっていこうと思う。僕みたいに事件を知っている人間には忘れてはいけないことがいくつもあると思う。知らない世代にはこういうことが本当にあったということと、それによっていろいろなことが変わったということを知ってほしい。報道ベースでこういったドラマが作られる理由を感じてもらえるように画面で表現できたらいい」

と撮影前に語っていました。

 

この事件のせいでアニメファンのイメージが悪くなった印象がありますよね。

当時私もアニメが好きだったのですが、同じようなアニメファンが宮崎勤元死刑囚の顔写真を下に置いて何人もの人が蹴っていたのを見た事があります。

それほど怒り心頭する事件でした。

 

30年間明かされなかった事実や肉声公開などは賛否両論があるでしょうけど、事件の内容を知る事で事件を風化させない事も大事だと思います。

警察はどのようにして宮崎勤元死刑囚にたどり着き、逮捕することができたのか、今夜21時からのドラマをしっかりと観てみようと思います。

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