11月8日(水)の21時から「証言者が激白!あの事件の知らなかったコトSP」では「日航123便墜落事故…同僚・夫が初証言…乗客のため奮闘し続けたCAたちの素顔と真実~」が放送されます。

今年は33回忌を迎えましたね。

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日本航空123便墜落事故とは?

 

日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100(ジャンボジェット、機体記号JA8119、製造番号20783)が、 ボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁の破損、および、垂直尾翼と補助動力装置の破損、油圧操縦システムの全喪失により、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落し、乗員乗客合わせて524名中、520名が死亡した航空事故である。

出典元 Wikipedia

 

日航機墜落事故は航空機事故死亡人数としては過去最多です。

1985年8月12日は夏休みだったので私はのんびりテレビを観ていました。

すると19時過ぎに、初めて見る「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えました」とのニュース速報が・・・

速報が流れるとすぐにどの局もニュースに切り替わり、全てのテレビが中断されました。

小さかった私は燃えてる機体を見ても意味が分からず、21時からあるずっと前から楽しみにしていたテレビ番組がなくなりはしないかと心配していたのを覚えています。

今考えるとひどい事を考えていたなと思いますが。。。

 

この事故での生存者は4人ですが、そのうちの一人「川上慶子」さんは強烈に覚えています。

この映像は当時何度も何度も流れていましたよね?

 

このインタビューに答える川上慶子さんの姿も覚えてしまうほど見ました。

こんな小さな子に、しかも療養中なのに取材ってかわいそうだなと思っていました。

 

当時12歳だった川上慶子さんがなぜこの日本航空123便に乗っていたのか?

それは家族で北海道旅行の帰りの事でした。

島根県出雲市に住んでいた川上慶子さんは両親と妹と4人で大阪の親戚宅に寄るため、北海道からまず東京・羽田に戻り、大阪行きの123便に搭乗して事故にあってしまったようです。

しかし、助かった事で嫌がらせの電話を受けたりストーカーまがいの事をされたりして「こんな事ならあの時死んでおけばよかった」と漏らすほどだったそうです。

そんな川上慶子さんは今現在は看護師さんになって2002年には結婚して今は旦那さんと息子さん3人で幸せに暮らせているようですね^^

 

事故があってから何度も川上慶子さんのその後が放送されてきましたけど、何年か経ったあとに日航機墜落事故の事が放送された時に、川上慶子さん本人がもう触れてほしくないとの事で現在の姿や顔写真はTVでは流さなかったと記憶しています。

なのでもし今、川上慶子さんだと分かったとしてもそっとしておいた方がいいかもしれませんね。

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芸能人の方で123便に乗り合わせていたのは歌手の坂本九さんでしたね。

坂本九

私は当時あまりよく知らず、歌は聴いた事あるけど。。。くらいな認識でした。

「上を向いて歩こう」は今聴いてもいい歌ですよね。

 

↓下の画像をクリックすると動画が流れます

上を向いて歩こう 坂本 九 歌詞付き

とても前向きになれる曲です。

 

本日放送の「証言者が激白!あの事件の知らなかったコトSP」では「日航123便墜落事故…同僚・夫が初証言…乗客のため奮闘し続けたCAたちの素顔と真実~」ではCAの方達が何を話してくれるのでしょうか・・・

毎回観るたびに怖くなりますが、事故を風化させないためにも心して観ようと思います。

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