8月14日(月)に「結婚したら人生激変~◯◯の妻たち~」が放送されますね。

予告ではトラック事故長女えみるさんを亡くしてしまった風見しんごさんのが沈黙を破って初告白されているようです。

えみるさんの悲劇の事故が起こってから10年余りが経ちますが、風見しんごさんを初め、ご家族の方は今どんな思いで過ごされているのでしょうか・・・

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風見しんごさんのプロフィール

風見しんご

名前 風見しんご 本名 大下義博

生年月日 1962年10月10日

身長 169センチ

出身 広島県広島市

所属事務所 (株)マスタープラン

大学在学中の1980年、東京ビクトリークラブのメンバーだった哀川翔を原宿で見て、チームに入れてくださいと懇願しメンバー入り。1982年、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』オーディションに合格してデビュー。この番組で欽ちゃんファミリーの若きメンバーとして存在感を放つ。1983年5月には「僕笑っちゃいます」でレコードデビューを果たし、このシングルはいきなり風見自身、最大のヒット曲となる。第16回日本有線大賞最優秀新人賞、第16回日本レコードセールス大賞新人賞(男性部門)などをそれぞれ獲得。4曲目の「涙のtake a chance」(1984年12月リリース)は、自らニューヨークに出向き猛特訓でブレイクダンスを修得。振り付けに取り入れ、当時の音楽番組では大きな話題を呼んだ。

出典元 Wikipedia

「僕笑っちゃいます」とか「涙のtake a chance」も懐かしい!確かに今では当たり前だけど当時はブレイクダンスを取り入れるのは珍しかったですね!

欽ちゃんとの掛け合いも面白くて光ってました^^

 

事故の詳細は?

えみる

風見しんごさんの長女・えみるさん

風見しんごさんの長女・えみるさん(当時10才)は東京世田谷区の交差点で右折しようとした2トントラックに跳ねられました。

2007年1月17日の事でした。

えみるさんはすぐ病院に搬送されましたが、頭蓋骨骨折で亡くなってしまいました。

えみるさんは通学途中(自宅からわずか100mの位置)で青信号で渡っていたそうです。

(風見しんごさんは)霊安室にて長女の遺体を目の当たりにしながら、「こんな思いは誰にも味わってほしくない」と思ったという。長女の死化粧担当者に「娘は花嫁になるのが夢だったので、死化粧ではなく、花嫁化粧でお願いします」とお願いした。その後、通夜の場で会見を行い、涙を流しながら「娘と飲酒をしたかった」などと述べた。ただこの会見の中で「喧嘩嫌いだった長女のため」として加害者への思いは一切述べなかった。その後、長女の死から四十九日を経過した際に加害者への思いを表したコメントを発表している。 長女の死去後、妻は再び妊娠したがダウン症児で死産した。

出典元 Wikipedia

風見しんごさんはお葬式の時に「(お酒を)飲みたかったなぁ。一回だけでいいから」と言っていましたね。

えみるさんの事故後すぐに「伊東家の食卓」の収録があったようですが、その時の役でテンションを無理に高めてるのがこっちにまで伝わってくるくらい痛々しかったのを覚えています。

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犯人は花王の元社員?判決は?

業務上過失致死罪に問われた元会社員の男性には「禁固2年」という判決でした。

ネットでも「一人のしかも10才の女の子の人生を奪っておいて2年は軽すぎる!」という声が多かったようですが、どうも裏にはこの犯人が大手メーカー(花王)の元社員だったことが関係しているのではないかと言われています。

交通事故は民事(賠償金)との兼ね合いのため、花王が相当の金額を出したのではないかという噂もあります。

だとしたら酷すぎる話ですが、えみるさんが喧嘩が嫌いだったという想いを尊重して風見しんごさんはお葬式の時も犯人の事には何も触れなかったみたいですね。

私が親だったら心情穏やかではなくなりそうですが、風見しんごさん達家族はえみるさんの気持ちを尊重したのでしょうね!

 

事故後、風見しんごさんは交通事故死亡者をなくすために各地で交通事故や命の大切さについてを語った講演や、警察等が主催する交通安全関連のイベントや啓蒙活動への参加を盛んに行っています。

2012年には警視庁より交通安全運動に対して感謝状を授与しました。

そして2016年4月5日、えみるさんが成人式を迎えるはずだった長女への思いを書いた本を『さくらのとんねる〜二十歳のえみる』と題して青志社から出版しています。


さくらのとんねる 二十歳のえみる [ 風見しんご ]

1,404円(税込み)送料無料

 

「◯◯の妻たち~結婚したら人生激変~」は8月14日(月)19時からの放送です。

ちょっと観るのが辛いかもしれませんが、風見しんごさんたち家族が今までどんな思いで生きてきたのか最後まで見届けようと思います。

※追記

妻の尚子さんは、いつもえみるちゃんに「頑張れ頑張れ」と言っていたので最後くらい「もう頑張らなくていいよ」と言ってあげたかったとおっしゃっていましたね。

新しく授かったダウン症のこころちゃんも心臓が停止してしまって風見しんごさんは「なんでウチばっかり」と言っていましたが、風見しんごさん達だけではなくその言葉を言ってる人は数え切れないほどいると思います。

それにしてもこころちゃんを自然分娩で産んだなんて凄い決断ですね。

母は強しです。

現在14才になった次女のふみねさんはアメリカ留学をされているそうです。

風見しんごさんの次女・ふみねさん

綺麗に成長していますね^^

家族仲が良くてうらやましいです(*^^*)

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