元大関若嶋津二所ノ関親方が10月19日(木)の16時20分頃、千葉県船橋市の路上で倒れているのが見つかり、病院に運ばれました。

発見された時は意識がありましたが、現在は意識不明の重体との事です。

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目撃者の証言

現場は二所ノ関部屋から自転車で数分道路をまっすぐに来た場所です。

周りには住宅や公園があります。

二所ノ関親方は路上に倒れていたとの事です。

目撃者は、

「意識はありました。うわーって動こうとしても動けない感じ。ここでこういう風になってました」

という事で、発見時は意識があったそうですが現在は意識不明の重体だそうです。

他の目撃者の方によると、親方が倒れていた場所から300m離れた場所で自転車に乗っているのを目撃したそうなんですが、その時に体が泥だらけでふらついていたそうです。

近所の方は、

「(親方は)よく温泉に行かれているようなんで、よくすれ違ったりして、大体おかみさんの車なんですけど自転車の時もありますね。すごく健康には気使っていたと思うんですけれどもいつもウォーキングされてました」

と証言していました。

体に目立った外傷はなく、近くには自転車が倒れていたそうなので倒れた時も自転車に乗っていたんでしょうね。

 

二所ノ関親方(元若嶋津)のプロフィール

名前 二所ノ関親方(若島津六夫) 本名 日高 六男

生年月日 1957年1月12日

出身 鹿児島県

身長 188センチ

体重 125キロ

名前の通り六男として生まれた。実家の農作業を手伝ううちに身体も鍛えられ、鹿児島商工高等学校(現樟南高等学校)時代に水泳やマラソン、そして相撲で頭角をあらわす。鹿児島市立甲南中学校では歌手の長渕剛と同級生であった。

1975年(昭和50年)3月場所、初代若乃花の二子山部屋から本名の日高で初土俵。同期生には同部屋の太寿山、後の大関霧島、井筒3兄弟の長男鶴嶺山がいた。 この場所、部屋の先輩にあたる大関貴ノ花の幕内優勝を目撃し、力士としては軽量になる自分と重ね合わせた。

出典元 Wikipedia

二所ノ関親方は鹿児島県出身で、端正な顔立ちから南海の黒ヒョウとも呼ばれる人気力士でした。

1983年には大関に昇進、その翌年1984年には念願の初優勝をしました。

1985年には当時人気アイドルだった高田みづえさんと結婚。

高田みづえ

美男美女カップルの誕生に世間はお祝いムードに包まれました。

1987年に惜しまれつつも引退。

引退後は若手力士育成に力を注ぎ、去年から相撲協会の審判部長を勤めています。

 

警察によりますと、現場にスリップしたような跡はないそうで、事件や事故の可能性は低いとの事です。

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高田みづえさんが心配との声多数!

https://twitter.com/DragonYokohama/status/921014480724561924

今頃高田みづえさんはどんな思いなのでしょうか・・・

親方は現在船橋市内の病院で治療を受けています。

心より回復される事を願っています。

 

※追記 二所ノ関親方の緊急手術がおよそ4時間半に渡って行われ、医師からは「命に別条はない」と説明を受けたという事です。

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